木地師(鍛冶屋)が多く屋敷を連ねたところと伝えられ、一帯を木地屋敷と呼ぶ。 その年代は詳らかでないが薬師寺文書によれば1682年ごろにはすでに木地師がおり、豊富な原生林により良質な木材が豊富にそろう事から、17世紀~19世紀初頭にかけ繁栄を魅せたと伝えられる。現在では木地師の苔むした墓石が点在するのみで当時の面影は見られない。